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施設紹介:床面積 41.86㎡(23畳)ループカーペット張り
        グランドピアノ ヤマハ
        電子ピアノ   ローランド
       
         

       駐車場4台
       (足りない場合は徒歩3~5分くらいのところに
       志家大駐車場(神明町9-10 電話 019-624-5555)
      

ピアノや英語を習いたくて内部を見学したい方のために少し書いておきます
内部を見学をするのは自由です。ただ営業時間(火~土 10:00-21:00)以外にご予約なしでいらっしゃられても、こちらにも日々の生活があるので、そういうときには仕事の顔はお見せできないこともあると一言付け加えさせてください。

あみかでは、レッスンの間にのんびり雑談できる部屋はありません。(正確に申し上げると開放していません。子供が一生懸命レッスンしているときに隣の部屋でレッスンにさわるくらいの音量で他の保護者様と会話している人がいらっしゃると、なんだか違和感を感じます。そこらへん今風に言うと昭和なのでしょうね。)

「まあ!ピアノを教えているのに防音室にしていないなんて信じらんなーい?!」という方に。
新築するときにずいぶん検討しましたが、バンドなど、電気が必要な楽器を深夜まで教えるなら必要かもしれないだろうけど、ピアノ教室でわざわざ防音にしたことは、過去20年のキャリアの中でせいぜい1件ですと、ベテラン建築士がおっしゃっていたので、防音にはしませんでした。時代だったのかもしれませんね。最新の住宅もたった5年で時代遅れになるとハウスメーカーの方がおっしゃっていましたから。
それよりも少しでもゆったりした空間を確保することのほうが私にとっては大切なことだったので、そちらを優先させました。42㎡なんて中途半端な空間? まあ教室それぞれに事情があるということで。。。。 

でも、この空間を確保できたおかげで、ピアノの伴奏に合わせて部屋中行進したり、英語で簡単な調理実習をしたり、夏にはみんなで一泊英語合宿したり、ちっちゃな発表会を開いたりできています。



過去の変則的活動
'14年夏休み短期留学
日本にいるときにホームステイしていた友人が、アメリカの自宅へ招待してくれたので生徒が単身ホームステイに行ってきます。
今回は大学生なのでかわいい子には旅をさせよと送り出しました。元気で帰ってこ~い。


'13年 7~8月 アメリカ西海岸と南部短期留学
サンフランシスコとアーカンソーのリトルロックにホームステイに生徒達と行ってきました。留学時にお世話になったホストファミリーの病気のお見舞いも兼ねてだったので良い機会でした。日頃の練習を思う存分発揮して。。。といきたいところですが、日頃質問を聞き取って答える訓練しかしていない小学生は、自分の思うことを自分で文にして伝えることはまだできません。それは十分承知でこのホームステイを企画しました。中学に入って全てが忙しくなる前に連れて行くことができて大変良かったと思っています。中学生は学校の宿題を滞在中にこなさなくていけないくて、まさに寝る間もおしんでとなり、かなり苦労しましたね。私側サイドの人間は何事も起こらなかったからいいものの、とんでもない冒険をしたものだねとのことでしたが、私はまた今度も!とやる気満々です。

英語の勉強だけでなく、異文化体験(それも全く異なる2カ所の文化)ができてよかったですね。
あっ、生徒の発音に日本語なまりがないとほめられました。手前味噌ですが、それがあみかの生徒の英語の特徴です。どの先生もほめてくださいます。


暗記だけの英語スピーチコンテストはなんのため?の問い合わせに私の考えることを書きます。

単純に英語学習者のレベルが、文をとっさに自由に組み立てるレベルまで達していないせいで、丸暗記にならざるを得ないだけだと思います。アメリカの大学のスピーチコミュニケーションのクラスで、スピーチは丸暗記をするなと習いました。
しかし、英語が母国語の人達でさえ、中学高校レベルだと作文してそれを丸暗記してスピーチに臨むのが普通です。
にも関わらず日本で英語のスピーチコンテストがあるのは、パフォーマンス能力を高めるためなのではないでしょうか?それとコアとなるような模範スピーチを身体の中に取り込むためではないでしょうか?
言語は暗記しないとどうにもならないところがあるので、ちょうどいい機会だから模範スピーチを暗記して、それを今後のスピーチ、英作文に応用してほしいということだと思います。
私も過去にTOEIC900点(今どき満点をとるヤカラも出てきたし、残念ながら思いきり過去形)とったことはありますが、相変わらず英語はできないままで、映画やスピーチなど見聞きしていて新しく気がついた言い回しなどがあるとメモって暗記しています。
自作の英文スピーチの場合はまた開催趣旨が変わってくるのだと思います。


'12年10月 jack-o'-lanternの作成 
jack-o'-lanternはかぼちゃのおばけの名前です。ランタンの一種なのでlanternという言葉が使われています。
日本の緑色のかぼちゃとちがって、オレンジパンプキンは果物ナイフで簡単にくりぬけます。くりぬいた後にろうそくをともすと下の写真のようになります。所要時間は20分かな?アメリカに住んでいたときは普通に毎年作っていましたが、日本に帰ってからはめんどくさがって作っていなかったのですが、今年は生徒さんが生のかぼちゃをプレゼントしてくれたのでやってみました。おためしあれ。



'10年 3月 春休み英語キャンプに参加
今時は日本国内でもあちこちで英語キャンプが行われるようになりました。レベルも初級者から上級者までいろいろ選べる時代になってきました。海外に行かなくともそれらしい気分を味わえるのはありがたいことです。
英語が話せても話せなくとも英語学習の動機づけになってくれればと声をかけたところ参加したい生徒がいたので、私も付き添いがてら様子を見てきました。少しでも保護者様の負担を軽くすることと、英語が話せたらもっと楽しくなると感じてもらえることが目的です。中学に上がってめちゃくちゃ忙しくなる前に疑似異文化体験ができて本当によかったと思っています。後は日本文化のサポートをすればバランスがとれるかな?
語学キャンプに明るい保護者様がいらっしゃって、その方々からいろいろ情報収集もできたのでよかったです。とてもいいキャンプだとおっしゃっていました。偶然全国版の教育雑誌の取材も行われていました。どこのキャンプかって?あみかで習ってくださったらお教えいたしますね~(営業営業!)




⑥ブログ(今までお世話になっていたサイトが突然2025年春に閉鎖しました。今こちらにお引越し中)

112 ピアノの先生方が最低小6まで続けてくださいという理由 2025 8/21
最近「辞める勇気を持とう」と、まことしやかに語られる時代になった。確かに、どう考えても絶対に向いていない子どもが、親の希望だけで習い続けている場合には、そうした選択も必要かもしれない。

けれど、現代の子どもたちは、親に言われてイヤイヤ続けるというケースは少ない。むしろ、さっさと見切りをつけて、次の習い事へと移っていく。確かに「数打ちゃ当たる」で、いつかぴったりのものに出会えるかもしれない。

それでも、ピアノの先生方が「最低でも小学6年生まで」「10年は続けてほしい」と言うのには、理由がある。

私が考える最大の理由は、思春期を経験すると、ぱっとしなかったピアノが大きく変わるから。私の実感では、ピアノに影響する転機は10歳~12歳前後。この時期になると、子どもたちは私と対等に話せるようになり、楽譜も「なんでこんなに読めないの?」と思っていた子が、急に読めるようになってくる。

低学年のうちに芽が出ない子は、何年も暗闇の中を手探りで歩いているような状態が続く。でも、思春期を迎えると、突然光が差すように変化する子がいる。まるで、大人なら誰でもわかる域に到達したような感覚。すごく簡単なことだったのに子どもだったゆえに気が付かなかっただけみたい。

その域まで達することができれば、ピアノはきっと一生の心の友になってくれるのではないかと感じる。楽譜を素早く読めなくても、時間をかければ難しい曲を完成できるようになる子もいる。ブラスバンドで楽器を担当するようになる子もいれば、ギターに転向する人もいる。楽器ができなくても、歌で開花する人もいる。

中でも忘れられないのは、まさに「醜いアヒルの子」状態だった生徒のこと。楽譜は読めるのに、どうしてこんなに汚い音しか出ないのか?と不思議に思うほどで、正直、教えていて「この子は絶対に開花しないだろう」と感じたことがある。

ところが、思春期を迎えると、まるで別人のように音楽的に弾き始めた。学校では合唱の伴奏を任されるまでになった。ピアノ教師人生の中でも、かなり稀有な経験だ。あの子が思春期を待たずに辞めていたら、この高みには到達できなかっただろう。

だから私は、思春期まではがんばってみたら?と、子どもたちにも保護者にもアドバイスしたい。辞める勇気も大切だが、続けることでしか見えない景色もあるのであ~る。



111電子ピアノ店 2025 8/13
5月の連休中に南イオンに新しくオープンした楽器店に行ってきました。
これから電子ピアノの購入予定のある皆様、是非足を運んで色々弾いてみて決めてくださいね。今までは見ることもできなかったメーカーがそろっています。店員さんにつかまると押しが強くて。。。という気持ちもよくわかるのですが、今日は見るだけとはっきり打ち出して、日頃疑問に思っていることを質問してみてください。随分と勉強になると思います。また、子どもを連れて行くと、見た目などどうでもいい所に気を取られて親子喧嘩になってしまうので、ピアノは親だけで見に行くことをお勧めします。

東京在住のときは、そのお店は重宝に利用させていただいていました。マンションにいたこともあったので、電子ピアノを当時20万弱で購入しました。あれから20年近く経ちますが、電子ピアノも随分進歩したようで、これならと思えるようなタッチのものも触ることができました。なぜなら鍵盤部分は本物と同じ素材を使っているからだそうなのです。

盛岡は新幹線ができて東京も日帰りで行ってこれるようになりましたが、まだまだ田舎です。東京や主要都市だと、毎週末のように演奏会があり、勉強会があり、公開レッスンがあり。。。という具合で、音楽雑誌にスケジュールが載っているじゃないですか?あれが自分たちの街で繰り広げられているのです。

ちなみに店員さんは20万見積もって頂いたら通常のレッスンには差しさわりがないと思いますとのことでした。とりあえず、モリオカンにとっても選択肢が広がってよかったと思っています。購入については、分かっていてもなお10万前後のものに落ち着いてしまう場合もあるとは思いますが、知らないまま購入してしまうのとはわけが違いますから少し進歩なのではないでしょうか?

でもピアノ教師としては、理想ですが、グランドピアノ、アップライトピアノ、その次に中古ピアノ、最後が電子ピアノの順番でお勧めしています。最初からスイッチのないピアノで始めると、電子ピアノのキーの軽さを知らないので、ピアノの鍵盤ってこれくらい重いものだと思って弾くので、指がしっかり鍛えられます。

どなたかグランドピアノの電子ピアノをお持ちの先生がいらしたら是非使い勝手を教えていただきたいです。


18 謝らなくなった日本人 2013 10/31
最近レッスンに遅刻してきても謝らない生徒が増えた。あまりひどいときは「何分から遅刻とみなすと思う?」などと皮切りに聞いてみるのだが、カエルの面に水でさっぱり効き目がない。そんな折、謝ることがどう変化してきているのか巷の様子を探ってみた。

従来日本には謝らなければ始まらないという考え方があったが、最近では海外企業の進出により向こう流の接客マニュアルも入ってきて、随分と様変わりしてきている。その1つに「すみません」を「ありがとうございます」に置き換えることが挙げられる。「○○ご遠慮ください」であったものが、「○○のご協力ありがとうございます」となるのは肯定的だし相手の意図することが十分理解できるが、最近は首を傾げたくなることも増えてきた。

先日外資系喫茶店でナプキンが切れていたので出してくれるよう頼んだところ、「教えてくださってありがとうございます」との返事。本来あるべき所にあるものがあるように目を配るのが仕事の1つで、それを怠っていたのだから、第一声には「すみません」を期待してしまうのだが意地悪であろうか?多分私なら、不便をかけたことに対して詫びるだろうし、指摘してくれたことに対して礼を言うような気がするが。。。うざい?

別の日には、ラジオのアナウンサーがうっかり時刻を間違えてしまったときがあった。「間違えてお伝えしてしまってたくさんのご指摘をいただきました。ありがとうございます。」と話していた。ありがとうであってすみませんではないのだ。昔堅気の人間としては、こんなときも第一声はやはり「すみません」の一言ではないかと感じるのだがいかがだろう?本来謝るところを、「ありがとう」にすり替えてごまかしているように感じてしまうのは私の性格がひねくれているから?

I’m sorry.という言葉は、自分の非を認めるということだから、海外ではそう簡単に使ってはならないと言われたことがあった。確かに訴訟に明け暮れる国では、その一言に判決を決定づける深い意味があるのだろう。そういう文化が日本に流入するにつれ、世の中がギスギスしてきたように感じる。基本、日本のごめんなさいは、人間完璧じゃないしお互い様だからねの気持ちが含まれているのではないかな。

幼稚園児の喧嘩を見ていても、喧嘩両成敗、ごめんなさいで仲直りねという指導も非常に減ってきていると感じる。こんなこともきっと謝らないで良しとする考えを助長しているのだろう。


17泣かないで 2013 9/30
私は周りがびっくりするほど泣き虫で日常生活に支障が出るほどだ。他人は「あなたは優しいから」と肯定的に表現してくれるが、ふつうは「あなたは弱虫だから」と言うところである。自分自身も直したいと思って本を読みあさったことがあるが、読み得た知識を使って実践はしていないので、歳を重ねて涙腺はゆるむ一方である。

涙を上手に利用する人間がいるという話があるが、私の場合自分の意志とは関係なく涙が勝手に出てくる。しかし最近は、自分が気がつかないだけで、心のどこかに弱さであるとか、ずるさであるとかがあるのかもしれないと考えるようになった。

泣くと頑張れない。私の場合そこで全てが中断してしまう。子供に教えるようになるまで考えたこともなかったが、習う立場で泣いた数々の場面を思い返した。
一番最初に思い出したのは、東京芸大の教授にレッスンを受けたときのことであった。指摘された所をすぐに修正できない自分が悔しくて泣いてしまったのであるが、いつまでも泣きやまないのでレッスンは打ち切りになり、当然慰めてもらえるものと思っていた恩師には「泣くのはダメよ」と活を入れられ、それ以来大学受験のときまでその教授のレッスンを受けることはなかった。今思えばそこで淘汰されるはずだったのかもしれないがそこがわからないのが私らしい。それ以来大学受験の準備や、大学の通常のレッスンなど、事あるごとによく泣いた。アメリカにいるときは、中村弘子の言う「血のなせる業」を肌に感じてレッスン中にわんわん泣いたこともあった。
帰国して教職に就き、黒人霊歌を教えたときは、アメリカで実際に見聞きした人種差別や友人を思いだし生徒の前で泣きだしてしまったこともあった。どの場面を思い出しても泣いてはいけなかったと感じる。

最近泣くことは良いことだと言われるようになった。それは私も同感だ。ただ、いつも思うのは、できなくて泣く、負けて悔しくて泣くのではなく、感動して泣くことに限られていることを現代の日本人は忘れていると感じる。
オリンピックで勝って泣いていい場面で、じっと感情を押し殺している日本人に対して言ったのではないのか?大震災で一度に全てのものを失い、自分の感情とどう向き合えばいいのかわからなくて封印し究極の状態に追い詰められている状態の人間に対して泣いてくださいと言うのではないのか?
自分も含めて弱虫の人間に、泣くなっ!歯をくいしばれと言いたい。


16折り鶴と貞子 2013 8/19
生徒達の米国旅行&英語レッスンの引率で毎日起きてから寝るまでがずっと忙しく、普段以上に世間知らずになってしまった。それを取り戻すわけでもなく時差ぼけのまま何気にテレビを眺めていたらいつのまにか終戦記念日。忙しさにかまけて教えずじまいにしてしまった1つの大切な教育のチャンスを思い出して悔やんだ。

子供たちに、お世話になった人達にthank you.の言葉と一緒に鶴の折り紙を渡すように伝えたのに、確認しないまま帰ってきてしまった。
散らかしたままにしているのでどうしてなのか指摘しようとも思ったが、チェックアウトは私ひとりがすればいいことだから、子供たちがその場に居合わせる必要もないしとないがしろにしてしまった。

8月になると、小学生のときに学校の先生に教えていただいた、千羽鶴の貞子の話を思い出す。被曝した少女が白血病に倒れ、元気になることを夢見て千羽鶴に願いを託したが願いかなわず他界してしまう実話である。教えていただいてから十数年後アメリカでその話をするまですっかり忘れていたがたまたま話す機会があった。女の子の名前もわからずストーリーだけを説明したが、アメリカの人達はすぐにわかって口々にサデァーコゥと連呼して日本人の私に教えてくれた。日本よりアメリカで有名なことに驚いたし、彼女のことを忘れていたことを恥じた。

さて、現代の日本はどうであろうか?多分今もその話を知っているのは広島の平和記念公園に行ったことのある日本人だけなような気がする。それどころか鶴の折り方を知らない人間が増えた。昔は折り紙をし、あやとりをし、箸で食事をする指先の器用な日本人と言われたものだが、最近はそれにあてはまらない人が増えている。テレビで有名人がすごい箸の持ち方で食事をしているのを見たりすると興ざめである。それでも現代人は形式より楽しむことが大切と言い張るのであろうか? 生活習慣がすっかり変わってしまったのだからそれはいたしかたのないことではあるが、上手にできていたものができなくなるのはいささか悔しい。
今でも公園には、大きな折り鶴をかかげた貞子の象があるし、いたるところに千羽鶴が飾られている。ただの折り紙でしかない鶴ではあるが、平和への祈りやその他いろいろな思いが込められた特別なものでもあることを日本人として是非覚えていてもらいたいものだ。

今日も貞子は病気で苦しむことのない世界を、原爆のない世界平和を祈って公園に立ち続けている。

15終戦のエンペラー 2013 7/26
今年の夏は「終戦のエンペラー」が公開される。留学中「ラストエンペラー」をリアルタイムで見た私としては、気持ちを非常にかきたてられる。当時、日本人である前に1人の人間だ、日本人アメリカ人なんて関係ないっ!と息巻いていた私であったが、映画の中で玉音放送が流れたときはあたりかまわず泣きじゃくった。
偶然が重なって、この夏、英語を習っている生徒達は昔私がお世話になったホストファミリーのところに行ってくる。帰国してからも細々とでも途切れることなく続いた付き合いに感謝である。

外国に行って自分が日本人であることを考える人は多い。ビートたけしが映画監督として海外に行くようになってから、「ここがヘンだよ日本人」という番組を始めたり、ダンスで海外に盛んに行っていたナンちゃんも、そのうち狂言を始めた。日本人であることを意識するようになったのだろうと推測している。それ以外にも茶道や華道、空手、柔道など日本的な習い事を始める人が多い。1人の人間ではあるが、日本人という看板も背負っていることにいろいろ考えることがあるのだろうと思う。

アメリカで、日本人なんだからピアノじゃなくて何か日本の楽器をやってみてよと言われたことがあった。そうだなと思ったが、日本に戻ってから始めたのは華道であった。多くの女性に教えてくれと頼まれたからだ。一応師範の資格を取るまでは続けたが、わびさびの世界は私には寂しすぎて性に合わないと気がついた。日本人なのに日本らしいものが好きじゃないのは自分でもちょっと悲しいが、こればっかりはしかたがない。

また、気持ちさえあれば必ず人は通じあえると多くの人は思っているが、異文化の中で実際生活したことの有る人は、それが本当であってうそであるという矛盾も知っている。バイブルスタディ(当時留学生を相手に聖書の勉強会が行われていた)の最中、所変わればキリスト教布教は非常に困難だと言って自分の海外赴任経験を話してくれた宣教師の話を、周りは努力不足の一言で片付けてしまった。言葉の壁や、文化の違いを日々感じ、黒人と白人間の人種差別を傍観していた私は多少なりとも彼が言いたいことが理解できたような気がした。

言語の学習はそれだけでは終わらない。言葉の背景となっているものも理解しないと言語習得の効率は悪い。子供たちには楽しい語学研修になることをもちろん希望しているが、戦争の爪跡などもしっかりと見てきてほしいと感じる。


14英語を取り巻く環境いろいろ 2013 6/30
今回は別にテーマがあるわけではありません。結局何を言いたい文なの?別にないです。ただつらつらと書いてみました。1ヶ月に1度は何か書こうと思っているので。

昨日同窓会があった。
小学校から一緒だったやつらと何気に話していたら、英語なまりの日本語が出てみんなに冷やかされた。
私以外に留学していた人もいるし、国際結婚をして日々外国語が飛び交う中で日常生活を送っている人もいるし、外交官になった人もいるし、仕事で海外赴任をしていたことがある人もいるし、自分の子供が留学している人もいる学年なのにである。

思えば私がせっせと語学習得にいそしんだ時代は、歌手が歌の中で1フレーズ英語を発音しただけで大騒ぎになった時代である。英語の歌詞の曲を次々に発表している歌手やグループもざらにいる現代では想像のつかないことなのであろう。というように、英語を話すことが普通になった。そういう人達にとって、英単語を日本語のように発音しようが、英語らしく発音しようがどうでもいいことなのである。

ただ、日本語と英語の間を行き来している人達の中には、日本語のときは日本語をきちんと話すと心がけている人は多い。そうしないとボキャブラリーが増えないからだと聞いたこともある。あっ、その観点から言うと、語彙が増えないからである。私もそうやってきっちり切り替えができる人を素敵だと憧れていたのだが、性格的なものと能力のためか、私は今一できていない。

今現在、教室の生徒が夏休み短期留学の準備をしているが、私も引率するので同じく準備に追われている。そんなときアメリカの大学に通っていたときのスピーチコミュニケーションのクラスの録音が出てきた。当時はなんとかそこそこのレベルまでたどりつけたと思っていたが、今聞くと聞くに堪えない。しかしそれがわかるほどに私がまともになったと解釈するようにしている。今回引率する生徒達はまだまだ成長の余地はあるが、すでにきれいな発音が身についていて、発音に関してだけ言えば新しい言葉を正しく教えるだけの作業で済むようになってくれたので、今度の体験も是非今後の英語学習/人生に役に立ててもらいたい。

私のことを心配してくれる私側サイドの人間は、なぜそんな危険を冒してまで赤の他人の生徒を連れて行く必要があるのかと大多数が反対に回った。海外研修の引率なんてめずらしい話ではない程度に思っていたが、私は相当ばかのようである。天の父なる神様、仏様、アラーの神様、他世界中の全ての神様、どうぞ私達をお守りください。


13たばこ事情昨今 [2013 5-18]
私は口うるさいおばさんだったが最近はかなり静かになった。そんな人間もいるから世の中まともでいられると思っていたが、通りすがりの若者を注意して殺された看護師の事件以来注意することはすっかりやめてしまった。あの事件以来日本人はたががはずれっぱなしのようだ。

先日女子会があった時のこと。竹を割っただけでは足らず、根元からタケノコを掘り出し食らいつくような性格の友人がいるのだが、待ち時間にたばこを吸っていてバスが来たので地面で消してそのまま捨てようとした男性に、ここは捨てる場所ではないから、灰皿のある所まで持って行くか、携帯灰皿を持ち歩くかどっちかにしろと単刀直入に言ったと言う。
いつものことながらあっぱれと思ったが、いつか刺されるんだからと警告した。いつか刺されるかもよと思いながら他人に注意する世の中ってなんなのだろう?
しかし友人もさるもので、大丈夫、注意するときは、注意しても大丈夫な相手かどうか見極めてから注意するし、彼女を連れていたからまさかからんだりはしないだろうとふんだそうな。更に、彼女と一緒にいるときにそういうばつの悪い思いをさせて申し訳なかったが、自分が愛煙家としてマナーの悪い者を許すわけにはいかなかったと言う。そして、バスをひとつ見送って、次のバスに乗ったとのこと。それは自分の身を守るためではなく、彼のことをおもんぱかっての行動であった。

くやしいかな、私はそこまで頭が回らない。。。。

マナーも随分改善されたように思うが、家の周りは放っておけば吸い殻がちらほら。動物とさほど変わらないらしくなぜか電柱の下に捨てられる。隣の学校の運動会ともなれば、愛煙家は我が家の前に抜け出してきては、空き缶を灰皿代わりに地べたに座り込んで我が家を眺めながら夫婦そろってたばこを吸っていくし、武道の大会があればこれまた吸い殻が増える。武道精神ってそんなものだったか?
たばこが捨てられる場所もちょっと路地に入った所、それもわざわざ私有地に投げ込んでいく。公共の場所はだめで、他人の家の敷地ならいいということか?そんなことも考えていないだろう。更に、ピアニッシモなど女性が好んで吸う銘柄にべったり口紅がついている。今時男も女もないのであろうが、何も悪いことまで真似する必要はないだろう。とにかく、たばこを吸い続けたいのならマナーは守るべきだ。マニアックに1つ1つ吸殻のDNA鑑定でもしてみようか?既にしてたら怖いね~。


12 Yes or No 2013 4月
アメリカ在住の際、Yes or no?とよく聞かれた。度重なるどちらともとれる返事に困ったようであった。しかしそこをはっきりさせるのがアメリカ流なのだろう。ではグレーゾーンはないかというともちろん存在するが、比較すると日本より少ないということだ。自分の気持ちを声にすることは日本より重要なことだと学んだ。

そうなると英語をかじっている人間の間で話題になるのは比較文化論であったが、日本人夫婦は、夫が「おい」と言えばお茶が出てきて、次に「おい」と言えば新聞が手渡される。日本人の気配り、今風に言えば空気を読む能力はすごいという話になったり、亭主関白は困ったものだとなるときもあった。(現代の日本人夫婦は逆転しているようだが)
それに対して、アメリカ人夫婦は一日に何度もI love you, honey. Me, too, darling.などと確認し合う。また、私がお世話になっていた家庭では3年間毎日欠かさず私にコーヒーにミルクや砂糖を入れるのか否かを聞いてくれた。

そこで日本人の間で話題になるのは、そんなこと1回2回確認すればわかるだろうというのが多くの日本人の感覚で、何度でも確認しなくてはわからないというのがアメリカ人の感覚であって、この感覚のずれはずっと平行線のままだというのが20年前の結論であったが、今はどうだろう?

Yes or Noの話に戻ると、私は生徒達に自分の考えを声にするようにいつも指導している。それが良いかどうかは考えることも多々あるが、私の基本姿勢である。よく沈黙を意思表示の手段にする人間がいるが、本人は意思表示のつもりかもしれないが、されたほうは何が原因かさっぱりわからないし、問いただしてもそうだともそうでないとも言わないので皆目だんまりの見当がつかない。第一私はその手法は卑怯だと感じる。

子供の頃兄弟喧嘩でなんでだんまりするんだと兄に言ったら、お前に説明したところでわからないから時間の無駄、黙っていた方が話がこじれないと説明されたことがあった。まあそれなりにだんまりの手段を使う理由はあるようであるし、親子、夫婦、友人、仕事、師弟間でも普通に使われる手法であるのかもしれない。しかし、それをやられると私は非常にしんどく感じるので、他人を思いやれる気持ちがあるのならその手段は使うべきでないと生徒に指導する。20年前の世界の日本人の見方に、日本人はいつもうすら笑いを浮かべながら何も言わないから気持ち悪いというのがあったせいかもしれない。


11雪かき [2013 3ー3]
子供の頃からなぜか雪かきが好きだ。母親が1年に1回はぎっくり腰で寝込むので、勝手に自分の仕事と決めていた。路地の舗装工事以来完璧な雪かきをするようなったお隣さんに合わせて、私の仕事ぶりも潔癖症並みになった。車を運転しない母は春になれば黙っていても雪は融けるよと呆れる。

玄関周りと、生徒さん用の駐車場と、裏の駐車場と雪かきするので、ご近所には申し訳ないが公道の方はおろそかになってしまう。

春先の氷割も大好きだ。氷になってしまった雪をパカパカ割ると、水たまりに溜まっていた水が勢いよく流れ出す。ダムが決壊しただの、運河だの言って遊んだものだ。あんなに楽しいことを知らないなんて。。。。

先日も手術以来雪かきの必需品になったコルセットを締めていそいそと出て行ったら、用務員さんが氷を割っていらしたので、その氷をどけて水を流すことにした。路面が傾斜していて大洪水になる道路なのでそれは面白い作業だ。下校途中の生徒達もおもしろそうに見ている。やってみたそうにしている子に手伝わせることにした。こんな水遊びみたいなことをしてお手伝いなんてよい機会ではないか。「ほら、これ持ってお水流して」とシャベルを渡したら、やったあと言わんばかりの様子で手伝ってくれた。しかし、現代っ子らしく家の手伝いは何一つやっていない様子。下流から上流の方に水を流してみた     り要領を得ない。しかしまもなくコツをつかんで上手に水を流し始めた。かなりの水が下水口に流れてとてもよいお手伝いになった。「一段落したら帰る~」と言う子供に「そうだね、手伝ってくれてありがとう」と言って、ちょうど教室の前を通るときにお手伝いのご褒美を持たせた。

子供は「知らない人から物をもらっちゃいけないって」と家人から教わったことを私に伝える。私もそう教わったし、教室の子供たちにもそう伝えている。「おばちゃんここに住んでいるんだからどこのだれかわからない人じゃないでしょ?それにお手伝いしてくれたご褒美だから、ママにちゃんとお話ししてそのお菓子見せてあげたら怒られたりしないよ」と小分けに包装された雛あられを持たせてやった。困った様子で消え入りそうな声で「ありがとう」と言うと元気に駆けて行った。

こういうことが地域で子供を育てるということではないのかなと思っているがいかがだろう?とは言っても、そうやって巧みに子供を騙す輩はいるし、給食を食べてショック死するアレルギー体質の子供もいる時代、難しいだろうなあ。


10 どこまで続ければ成し遂げたことになるのか
昔はピアノをやめるときには100%保護者がご挨拶に来てくださったものですが、最近はそうでもないようです。ネットでもメールや電話でやめますと言って一方的にやめる人がいて非常識だという書き込みが目につくようになりました。メールや電話はまだいい方で、黙って行かなくなってしまう人もいるそうです。

私自身もピアノを習っていたので、辞めるときに挨拶に行かなことはまさに「後足で砂をかける」行為で全く理解できません。今は教える側になりましたので、こんなことを書くとおごり高ぶった先生と勘違いされる危険もあるとは思いましたが、挨拶なしにやめてしまうのは最近の新しい傾向です。

私自身は、抗議のサインかもしれないと考えて自分の行いを気をつけて振り返るようにしていますが、そういう人達は全く悪気はないようで、謝礼は毎月払っているし、子供自身が礼を言って帰ってくればいいという考えのようです。それにしても最近は本当にいろいろな考えの方が増えましたが、自分のやり方を主張するのであれば、他人のやり方も尊重するようでなければ、社会人とは呼べないのではと感じます。

先日中3の生徒さんが晴れて教室を卒業することになりました。転校生でブランクがありましたが、やっぱり続けたいと再開したピアノでした。私自身受験の時に一度休んでしまったので、入試本番まであとわずかというこの時期まで続けられた生徒さんは、途中でやめるとは言わないで「成し遂げた」と言えると感じます。

お母様は私と年が近かったせいでしょうか、お母様自身子供の時にピアノを習っていて、親のすることをしっかり見てお育ちになったのでしょう。何をなさるにしても私と感覚が同じで本当にほっとさせてくださる方でした。ご挨拶に来てくださったので、私も今まで続けてくださったお礼、レッスンの進行状況など報告することができて本当にうれしく感じました。思いもかけず素敵な花束をいただき大感激しました。心から感謝です

受験まで体調管理に気をつけてラストスパート頑張ってほしいですね。ピアノを続けながら運動部でレギュラーをこなし続けました。塾にも行かず家庭教師もつけずに学年のトップに居続けることができたのは、こつこつとがんばること、時間の管理方法を身につけたおかげです。また、お母様も精神的に支え続けてくれたおかげだと思っています。これからの人生、絶対どこかでピアノをがんばったこと、役に立ちますよ。


9  年末年始のご挨拶 [2012 12-30]
今週は追加レッスンの生徒も入れると29日まで年内最後のレッスンが続くとあって、日頃あまりお会いする機会のないお家の方々が次々とご挨拶にいらしてくださいました。私もこの1年間の感謝の気持ちをお伝えすることもできましたし、日頃のレッスンの様子など報告できました。

子供さんの年齢にもよりますし、先生によってレッスン形態はいろいろですが、私はレッスンの様子をご覧いただけると、私の仕事ぶりもご覧いただけますし、生徒さんもとても頑張るので、大変よいことだと思っています。年末年始に限らずどうぞいつでも遠慮なくご覧いただけたらと思います。

最近は1年の締めくくり/年の始めという感覚がなくなりつつあるようで、お正月もとりたてて特別な意味はなくなる傾向にあるようです。コンビニはもちろん、スーパーも三が日休むことはなくなりましたし、初売りも元日から行うところが増えました。ほとんど日常と変わらないので、当然そういう感覚も薄れていくのでしょう。

そんな中、私が古風なタイプと察してか、先輩保護者が伝承なさるのか、皆様年末年始のいずれかにいらしてくださって、大変ありがたいことです。(こうやって書くから無言の圧力を感じてきてくださるのか?でも公のサイトに書くのは初めてですが)

お歳暮やお中元は私にとってはボーナスです。出る会社もありますし、出ない会社もあります。社員募集に応募するときにボーナスが出るか否かを訊く人はいますが、新しい生徒さんがお習いになるときにそんな話をする先生は皆無でしょう。お中元お歳暮は現金か商品券でと指定する先生は存在しますが!!もちろんあみかではそんなことはしていませんのでご安心を!

今年は手術でご心配をおかけしましたが、英語の弁論大会で入賞するような結果も出すことができてほっと胸をなでおろしております。年明けにはピアノの検定試験もあるせいか、発表会のとき以上に生徒たちは張り切っています。日頃の練習のときにやらされている感の強い生徒も今回は頑張っているので少しびっくりですが、成長したということなのでしょうね。来年も子供たちが自発的にがんばりたくなるようなことをご提案できるように工夫していきたいと思います。今年一年あみかのご利用ありがとうございました。年明けも4日からありますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

8 ベテランお母さん パート2 自分でする [2012-12-04]
今日は今年5月の日記に続いて私が共感するお母さまを一人紹介しよう。
そこのお母さまは小学校4年生の子供に休みや遅刻の電話連絡を自分でさせる。私は日頃時間がかかっても子供自身にさせることが大切だと思っているので、子供が電話をかけてくることにとても好感を持つ。最初は生徒がどきどきしている様子が伝わってきてがんばれーと心の中で応援しながら、多少会話を誘導することもあったが、最近は安心して聞いていられるようになってきた。反復練習が上達につながるのは別に勉強だけではない。最近は何でも親が先回りしてやってしまって、いつまでたっても何もできない子供が多いような気がするので、本当にここのおうちの方針には共感する限りだ。

よく新人社会人が電話のかけかたも知らないと私も含め大人はぼやくが、経験させてきてないまま大人になってしまったのだから、何も教わらないまま大人になった人間を責めるわけにもいかないだろう。(ばかじゃないんだから何も教わらなくたって自分で見ていたらわかるだろう。。。というご意見にも強く共感するが)

私が子供の頃は子供自身が電話連絡をするのは当たり前で、親が電話したりするとかえって過保護とか甘やかしているとか言われて恥ずかしいことと考える人が多かったが、今では親の連絡が増えてきて当たり前と言ってもいいくらいだ。(そういう親を持つ子供が大人になって新型鬱になっているケースは、今年4月の日記に書いたので参考にしてもらいたい)時代の流れだから私もいつまでも昔のやりかたにしがみついて強要するつもりもない。

しかし、私自身、小学生のときはずる休みの電話をしたりして、先生に見破られて注意されたり、うっかり時間変更のレッスンをすっぽかしてしまって、お詫びの電話を入れたりすることで、家の外で話す時の口のききかたであるとか、物の頼み方、謝り方等など、いろいろと練習させてもらった。電話だと相手の声音がわかるので、気持ちがダイレクトに伝わってくる。そのやりとりが成長させてくれるのだと考えている。メールは一方的に送りつけるだけだからお気楽だ。
可愛い子には旅をさせよというではないか。虎は我が子を谷に突き落とすというではないか。突き落とさなくてもいいから、いろいろと日々の営みをもっとやらせてあげてほしいと感じる。


7 ハロウィンにめぐらす思い色々[2012-11-15]
日本の10月の行事を英語で説明するように高校生に指示したら、ハロウィンを説明してくれた。思えばこの世代が幼稚園のときに私はハロウィンパーティをしていたのだから、考えれば当り前のことであった。

さて、毎回ハロウィンの度に感じることがある。trick or treatについてである。アメリカでは子供達が近所を回って家の人が出てきたらこの言葉を言うのである。大人はお菓子を袋に入れてくれ、子供達は礼を言って次へと向かう。

小学校中学年位までは親が付き添うので、大げさな言い方だが、社会で必要なコミュニケーションスキルを学ぶのである。
私がお世話になった家の子も母親と私に付き添われて出かけたが、恥ずかしがりやで肝心のフレーズが出てこない。「自分で言わなきゃお菓子は手に入らないのよ。ほしいならはっきりとお家の人に伝えなさい」と励まされていた。

アメリカでは小さい時から、自分の言葉でお願いすることを徹底している。The squeaky wheel gets the oil. (キーキー言うタイヤは油を注してもらえる)なのだ。また礼を言うのは日本でも同じだが、米国では親子間でも徹底している。小一になるまでには、どんなに恥ずかしがり屋の子でもpleaseとthank youは言えるようになっている。

さて、日本の子供達はどうだろう?基本同じだとは思うがなかなかはっきり言える子は少ない。黙っていても大人が察してやってくれるので、何も言う必要がないのである。もっとも、日本のハロウィンイベントは幼児がほとんどだし、卒なく会が終了すればそれでいいわけだし、トゥリッカトゥリートは意味のない音であろうから、大きな声で言えるかどうかはどうでもいいことかも等々。。。

バスを降りるときに、感謝の言葉を運転手さんに発して降りる乗客は年代を問わず減ったような気がする。お水を持ってきたくれた店員に礼をはっきり言うお客さんは50%いるだろうか?ファストフードで注文の品を受け取るときに礼を言う人もどれ位いるだろう?文化の違いだから、日本ではその程度では声に出しては言わないのかもしれない?言ったら自分も相手も気持ち良くなれるだろうに。

最後に唐突だが、友達がアメリカのハロウィンを称して「甘いモンくれよぉ。イヤだってんなら、こちとら最終兵器あるぜぃ"などと恐喝まがいのセリフで、子どもたちに他人宅を訪問させるとは!! 侵略訓練か!?」とジョーク飛ばした。妙に納得するものがある。


6岩手県高校生英語弁論大会の感想&あみかの宣伝[2012-10-27]
今時は昔とちがって照れずに英語の音をまねる子が多くて、きれいに発音できる子が増えたと思っていましたが、それは私の勝手な思い込みであることがわかりました。確かに英語人口の頂点のレベルは上がったと思えるほどすばらしいスピーチもありましたが、すそ野は相変わらずコテコテの日本語なまりで、今時まだこんなに強いなまりで話す人がいるんだと驚かされるほどでした。

大会に参加する生徒達が何を思って大会に参加するのかも、指導する側の思惑もいろいろ見え隠れして、感想を書きだすと非常に長いエッセイが書けそうなので、それについてはまたの機会に触れることとして、今日は発音に限って感想を書きたいと思います。

子音に関しては全体的にレベルが上がったと思いました。昔よく話題になったB&V, L&R, S&TH は昔ほどすごい発音の生徒は少なくなったように思います。問題は母音です。どうしても「あいうえお」のどれかに直してしまっている生徒が多かったように思います。

また、つづりに影響を受けて、まちがった読みのままになっていることも多かったように思います。例えば、thoughtです。-ou-の部分は米語だとオとアの中間の音のまままっすぐ伸ばすのですが、どうしてもソウトゥと読みたくなってしまうようでした。becauseもビコウズと発音している人が多くいました。母音がきちんと言い分けられるようになると英語の発音ももっとよくなるのですが。。。

この微妙な音を聞き分けられるのが、良い耳を持った人達なのですが、昔から、音楽をやる人達は英語の発音がいいことになっているのです。耳がいいからなのでしょうね。特に小学校に上がる前からピアノなどを習っていると、英語の発音も変わってくるのです。ご存知でしたでしょうか?こんなところにもピアノのレッスンって貢献しているんですよ。

自分の耳の性能がよくないと感じた時は、発音記号を読めるようにすると発音の改善に役に立ちます。聞き分けられなくとも目で確認することによって気がつくことはたくさんあります。あみかでは小学校のときからフォニックスと並行して発音記号もお教えしています。私自身リエゾンのしかたも系統だって学習しましたし、アメリカにいるときに訛りを矯正するクラスも受けましたから、みなさんのお役にたてることと思います。日本人のなまりを矯正する教材も現地で買ってきました。おもしろいので、南部なまりやスペイン系のなまりの教材も買ってきました。ハリウッドの俳優用にそんな本があるんです。こんなところが学校の英語ではカバーできないところだと思っています。


5「生」の意味[2012-09-13]
最近はインターネットなどのおかげで、生身の人間のレッスンを受けなくてもよくなりましたが、もっと「生」のレッスンで五感を使ってレッスンを受けてもらいたいと思います。何度でも提案し続ける理由は、「生」に勝るものはないと再認識するできごとがあったからです。

それは私の入院でした。英語の暗記課題を出しておいたのですが、入院中は、生徒はCDを聞きながら練習するしかありません。休み明けに暗記のチェックをしたのですが、暗記自体は問題ありませんでしたが、あんなに上手だった発音がすっかり日本語なまりに戻っていました。そのクラスはまだビギナーの域を出ないので、もう少し長く習っていて単語レベルの発音は問題なく発音できるレベルまでに達しているクラスに比べて、まだまだ確実性に欠けていたのです。元々ピアノも習っていて耳がとても良いことと、口先が器用で、お手本をそっくりそのまま真似できる子の多い優秀なクラスでした。まだ英語はほとんど読めないので、CDを真似するしか練習する方法がなかったはずです。

お伝えしたいのは、それほどにCDをまねるだけでは限界があるということです。まだ英語が読めないせいで、頼れるのは自分の持っている「聴覚」だけです。DVDでしたら、「視覚」も加わるのでもう少し変わったのかもしれませんが、それでも「生」のレッスンで、先生の口元を見て、生の音を聴いて、実際に真似をして、直してもらう。。。先生の表情や語気に注意しながら、良い意味での緊張をしながらレッスンを受けるのとはびっくりするほどの開きでした。(コンピュータと将棋をするのと、生の人間と将棋をするのでは、脳の働きが全く違うのは周知の事実ですね)

これを日々積み重ねているのであれば1年もたてば大きな開きになるでしょう。幸いにして、通常のお盆休みを含む2週間の休みで仕事に復帰できたので、すぐに勘はとりもどしてくれましたが、つくづく生のレッスンは大切だと感じるできごととなりました。

生ジュース、生ビール、生野菜、生ハム、生チョコ、生クリーム、生放送、生演奏、生足(?)、どれもこれに勝るものはないというものばかりですね。

もっと、生身の人間対人間のレッスンを大切にしてもらいたいものだと思います。


4夏休みの過ごし方[2012-07-25]
最近はピアノ教師が自分に関係する演奏会関係のチケットを門下生に負担させることは少なくなってきているようだ。しかしながら、そのせいもあってか子供達が演奏会に足を運ぶ機会は減っているようにも感じられる。それをふまえて夏休みは是非演奏会に行って欲しいものだ。

以前は恩師がリサイタルを開くような場合、門下生はチケットを数十枚割り当てられるものであった。要領のいい人は売りさばくし、友人関係が壊れるなどと懸念する人はチケット代は自己負担して無料で配ったりすることが多かった。私の恩師のように生徒に負担させない先生もおられたが、そういうタイプの先生は現代に比べれば少なかったような気がする。

しかし、同じ理由で、ピアノを習っている子供達は今より演奏会に行く機会が多かった。恩師のリサイタル、恩師が属している協会の音楽会・勉強会のたびに、チケットが回ってくるわけであるが、今ほど娯楽があるわけでもなかったし、勉強でもあるし、生徒達も音楽会にせっせと足を運んだものだ。大学の時に、月に何回演奏会に行くかの問いかけに、月に3回以上足を運ぶ学生がたくさんいて、教授が大変喜んでいらしたのを記憶している。

私自身盛岡に帰ってからは、県民会館やマリオスに行ってはちらしをもらってきて生徒に配る。少しでも生の音楽に触れてほしいからであるが、果たして行ってくれているかどうかは、発表会のときくらいしかお会いしない保護者もおられるので、正確な数は把握していない。
この間の演奏会行ってみた?とさらりと聞いてみるが、中には演奏会らしい演奏会に一度も行ったことがない生徒もいる。びっくりだがチケットを強制的に購入させて行かせるわけにもいかない。(というかしたくない)

季節は夏休み。音楽雑誌を見ると、関東や音楽教育が盛んな地域では、色々なセミナー、ワークショップが目白押しだ。安価な運賃で、著名な音楽家の教育が受けられる会場までたどりつけること、子供達のモチベーションを刺激する要素がいっぱい転がっている環境は、地方にいるとうらやましい。

最近は、学校の勉強が忙しくて演奏会どころでない生徒が多いようだが、せめて長期の休みのときくらいは、演奏会に行ってみるなど、普段忙しくてできないものにとりくんでもらいたい。別に演奏会でなくても、レンタルCDを借りてきて聞きまくるのもよし、you tubeですばらしい演奏を見るのもよし、お金をかけなくてもできることはいろいろある。

震災復興、リーマンショック以来の不況でそれどころでないのも十分理解できる。しかし、子育ては何人子供がいようとも、一人に対し1回しかできない。大切な時期を大切に過ごしてほしいものだ。


3Time flies.[2012-06-27]
このサイトはピアノに関係する人が多く閲覧なさるところだと思いますが、たまたまうちの教室は英語も教えているので、今日は英語の話をしようと思います。

先日ホームパーティの準備で、留学中によく飲んでいたアメリカの粉末ジュースを話の種に個人輸入しました。
日本はお味噌汁があるせいか、食後にお茶を飲むことはあっても食事中に飲む習慣はない方が多いと思いますが、アメリカの食事は汁ものを必ず準備するわけではないので、食事時に各自飲み物を準備するのです。

最近では日本人でも食事のときに、ジュースや炭酸飲料を飲む人が増えたようですが、砂糖のいっぱい入ったコーラやジュースを片手に食事をする光景はちょっとしたカルチャーショックでした。

その中でそのジュースはなかなか自然な味でお気に入りだったのですが、ちょうど英語のレッスンで食卓の準備をする内容にさしかかったので、そのジュースをふるまうことにしました。

ちょうど未開封で、子供達は説明書を読めないとどうやったらいいのかわかりません。日本の1カップとアメリカの1カップは若干量が違うので、単位の勉強もできるしいい勉強になるとひそかに思って、子供達と一緒に解読、無事口にすることができました。そこで子供達がめずらしがってくれるのを期待していたのですが、日本のものと変わらな~いとのこと。

そのときやっと気がついたのです。ああ、そういえば、当時日本にはオレンジジュースはなかったんだと。
いったい私はいつの時代の人だと思うでしょう?20年~30年前はオレンジジュースは少なかったのです。たいていみかんジュースでしたし、オレンジジュースと謳っていてもみかんジュースで割っていたりしたものです。

アメリカに行って、オレンジジュースは日本のものと違ってめちゃくちゃおいしいと思ったものでした。特にフロリダ産のオレンジジュースは特別に甘くて、ずいぶんこだわってフロリダ産を選んだものでした。

ここ最近オレンジジュースはこんなもんだと思いながら飲んでいた私でしたが、こんなところで時の流れを感じてしまった出来事でした。
異文化学習のつもりだったのに、ちょっとうらめしい。。。


2ベテランお母さん[2012-05-22]
先日ひさしぶりにお母様の見事な叱りっぷりに遭遇しました。
めりはりの利いた躾が子供を育てると私は再認識できましたが、現代のお母様達には、どう映るのでしょうか?

小2のA子ちゃんは2週続けて楽譜一式を忘れてきました。

私が子供の時は、先生に断って20分休みに学校の忘れ物を取りに家に戻ったものです。片道徒歩15分の道を全速力で走ると往復で20分、3時間目にはなんとか間に合いました。
A子ちゃんの学校までは徒歩で5分、忘れ物を取りに戻そうかと思いましたが、今時は危険ということで学校から外に出すことはあり得ない時代なようですし、楽譜がなくともできることを教える日にしました。

お母様がお迎えにいらしたのでその旨説明しました。
お母様は私にはすみませんと詫びてから、子供に向かって、「2回続けて忘れるなんてあり得ないことです。どうしたら忘れないようにできるのか自分で考えなさい。自分で解決法を探さないといつまでも同じことを繰り返しますよ」ときちんとした口調で、でも諭すようにおっしゃいました。
まあいっかあ、仕方ない、毎回注意していたらいつかは学習してくれるだろう程度にのんびり構えていた私ははっとしました。
そうっ!これが本来の躾だ!
ここ数年モンスターペアレンツの話を聞くようになって以来、ほとんど「叱る」という方法を無意識のうちに封印している自分に気が付きました。

悪い時は悪いと真剣に真正面から向き合って教えることが大切と教わりました。ペットと人間様の躾がいっしょなはずがないと、ご気分を悪くなさる保護者が増えたので、ここでその例えを出すのもどうかと思うのですが、ペットの躾はできた時には間髪をいれずほめてあげること、また悪いことをしたときには、やはりその場で、笑わないで本気で叱ることが大切と言われていました。今も変わらないのではないでしょうか?

それがここ5年位の間に、子供に向かってそんなにむきになったって。。。 叱ったら子供は委縮するばかり。。。 大きくなったらそんなことほっといてもわかるようになるよ。。。
などなど言われるになってきました。

子供だからそんなにむきになる必要があるのですよね?
叱ってばかりいたら子供は委縮しますが、ときどき叱るのは効果的ではありませんか?
教えられないまま身体ばかりが大きくなって、こんなこともわからないの?と思わせるようない大人が増えましたね?
(私のことは棚に置いてま~す)

褒めるだけで子供が育つならみんな苦労していません。褒めてみたり、叱ってみたり、ほっておいてみたり、色々な方法を使ってみても親の思うようにはならないのが子育てではないのですか?

封印していた方法、また使ってみようっかな。。。と思わせてくれる、凛としてあっぱれな叱りっぷりでした。


1新型鬱の特集を見て[2012-04-30]
最近、仕事となると従来型鬱と同じ症状が出て、プライベートの遊びとなると普通に元気に遊べるような、新しいタイプの鬱が出てきたとのこと。
親との必要以上の癒着が見られ、会社と本人の連絡の間に親が入ることも非常に多いのが特徴の1つだと言っていた。
また、子供が育つ過程でぶつかる障害を取り除いてきたことが、逆に「打たれ弱い人間」を作り上げているのではないかという指摘。

時代が違うのかもしれないが、私の小学時代は毎レッスンごとに、どうやってさぼろうかとそれらしい理由を考えるのに必死で、先生に直接電話連絡をして、口のきき方を注意され、ドタキャンを注意され、休みすぎを注意され、健康管理を注意されたものだった。
大人になってみると、子供のうそはバレバレで、恩師も当然わかっていたであろうに、それを親に連絡しなかったのは、逃げ道を作ってあげていたということだったのかと解釈している。

電話で休むことを伝えれば先生の声は険しいものになり、それを察して、色々反省すること考えることは子供ながらにあったものだし、今思えば、そういうことを通してコミュニケーション能力は現代の子供達よりは訓練されたのかなという気がする。

子供に良かれと思ってしてあげることが、自ら経験して成長するチャンスをうばってしまっていることにもっと気づいてほしいと思う番組であった。



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